Suzu Masa ブログ

辛酸なめた男が美容室「経営」をリアル・ガチで語る

【美容室の解決すべき根本問題】<後編>

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100年遅れの営業スタイル

 

マーケティングを語らせたら業界で私の右に出るものはいないと自負するSuzu Masa です:笑

まず、前回の復習です。

マーケティングの神様コトラーマーケティング・テーゼの変遷です。ここをしっかり押さえておきましょう。

 

マーケティング1.0・・・【製品主導】(1900~1960年)*大量生産大量消費

マーケティング2.0・・・【消費者志向】(1970~1980年)*製品の差別化

マーケティング3.0・・・【価値主導】(1990~2000)*企業の社会的責任

マーケティング4.0・・・【自己実現】(2010年~)*消費者の自己実現欲求

 

美容室の価値が上がらない根本の原因は、マーケティングの現在と美容室の営業の現在があまりにもかけ離れてしまっているということです。大事な着眼点です。

 

まず、美容室の売り物、そう、メニューです。正確には、メニュー主体の売り方です。

カット、カラー、トリートメント、縮毛矯正、髪質改善、ヘッドスパ・・・こういう「メニュー」で売っています。つまり、上記のマーケティング1.0、「製品主導」の発想で商売をしているということになるのです。

これが通用したのが1900~1960年ですから、長くて100年前、遅くて50年前の発想でいまだに商売をしているということになります。

 

現在のマーケティングのテーゼは、すでにマーケティング4.0、つまりお客様の「自己実現欲求」の時代です。

自己実現欲求とは、お客様の立場からわかりやすく言えばこういうことです。

「私のライフステージを自分らしくもっと素敵にしたいの。プロとしてあなたは私に何をしていただけるの?」

これがお客様の自己実現欲求です。明確に言葉にして言わなくても、結局はお客様のホンネの想いです。なにもカットやカラーや縮毛矯正を望んでいるわけではないのです。現実の美容室ではこれらのメニュー主体の営業ですから、お客様はメニューを選ばざるを得ないのです。

そうではなく、自分らしく素敵な人生が送れるように、プロの美容師として何ができるのか。それが問われているわけで、そういった欲求に応えられるのが、マーケティング4.0時代の美容師なのです。

 

余計な干渉はしないで!

 

すでに欲求を引き出すアプローチから違っています。

カウンセリングです。

マーケティング1.0「製品主導」のカンセリングトークの出だしはこうです。

「今日はカットをご希望ですね。どんな形がいいですか。どのくらいの長さで?」

 

このように「製品」=「メニュー」主導で売っていますから、メニュー前提でのスタイル、長さの話にしかカウンセリングは進展しません。

 

となると、こういう現象が待っています。

結局、「うまいわね、それほどでも、にしては高いわね、ほどほど・・・」といった評価です。製品(メニュー)を押し付けてくるのであれば、その製品(メニュー)の良し悪しで判断するしかないからです。

ほとんどのサロンが同じ売り方をしていますから、競合となり、コモディティ化が進展して、最終的には料金以外の差別化はできなくなりますから、価格競争に陥るしかないのです。

これ以外に気の利いた会話でもしようと、美容師さんはプライベートな話までもっていったりしますが、お客様にとっては迷惑以外のなにものでもありません。「私生活に干渉されたくない」で終わってしまいます。

 

製品=メニュー主導の業界

 

どうして業界はこうなってしまったのか。お客様の消費シーンに100年も遅れたままなのか。同じ売り方、同じ売り物で競合店ばかりの血みどろの争いを強いられているのか。あの製品が売れているといえば無批判に導入し、このメニューが評判だといえば、競って導入する、そんな傾向が絶えないのか。

 

技術面でのトレンドの変化はさておくとして、大きな原因は、メーカー主導の業界であったということではないでしょうか。

メーカーとは、製品を開発・製造をするところです。どうしても製品が前面に出てしまいます。しかも販売はディーラー、美容室に委ねられますから、他社製品よりもすぐれた製品の価値を全面的にアピールして市場浸透をはかっていかなければなりません。

そこに業界出版社が雑誌の広告主であるメーカーに、販売代理店であるディーラーに忖度して記事を書くという構図ができあがります。

つまり製品の良し悪しの製造競争、販売競争に美容室が巻き込まれている。そんな美容業界特有の構造です。

だから製品主導・メニュー主導の発想からなかなか抜け出ることができないのですね。

 

私のこと、もっと聞いて!

 

ところが現在のマーケティング4.0「自己実現」の時代はまったく様相が異なります。カウンセリングとは、美容室にとって唯一にして最大の営業機会なのですが、このカウンセリング自体がまったく違ったものになってくるのです。

カウンセリングトークの出だしはこうなります。

「今日はカットとうかがっていますが、その前にお聞きしたいのです。今のスタイルでどこか問題でもありますか?」

 

自己実現」欲求を満たす場合のカウンセリングとして、絶対に踏み外してはならない聞き方の鉄則があります。

こういう聞き方です。「顧客が望むものは製品やサービスではない。問題点の解決策だ」ドラッカーが言うように、すべては問題点を最初の段階であからさまにして、次にそれを解決に導くことがビジネスの本流となります。

 

とくにマーケティング2.0以降は、ビジネスの鉄板、基本姿勢となっています。

人間の心理とは、まず「不快を避ける」、次に「快を得る」という順番に働くのです。つまり、不快である「問題点」を問題点でなくなるレベルまでもっていって初めて「快を得る」心理状態に至るのです。マイナスの心理がゼロの状態になるのですね。

 

問題点を聞き出し、問題点を解決し、その後初めてお客様の「こうしたい」「ああしたい」という欲求のステージに移れます。ゼロの心理状態がここでプラスに働くのですね。そうやってどんどんプラスの状態を加算していく。最終的には現在のマーケティングレベルである4.0、つまり「自己実現」の欲求にランクアップしていくわけです。

 

お客様独自のライフステージに見合った自己実現、その自己実現を満たすために、必要な施術が、カットであったり、カラーであったり、トリートメントであったり、縮毛矯正であったりするのですね。

つまり、自己実現を満たすための「手段」がそれらの施術メニューであるという位置づけなのです。

絶対にこの順序を間違ってはなりません。

だから、お客様は、自分の価値観、信条、生き方といったプライベートな情報も積極的に打ち明けます。なぜなら、打ち明ければ打ち明けるほど自己実現の可能性が高まるという期待値があるからです。

だから、「私のこと、もっと聞いて」となります。

 

4.0時代のカウンセリング

 

マーケティング4.0時代のカウンセリングトークとはどういうものか、個々に異なるお客様の自己実現欲求、その把握の仕方、また、自己実現欲求を満たすための「不快を避けて快を得る」の第1ステップから、段階を踏んだカウンセリングトーク、ステップ・バイ・ステップ、さらに自己実現のための欲求レベルを高度化していって、生涯顧客までランクアップしていただく。

こういった一連のカウンセリング・ノウハウを私は用意しています。

 

このノウハウを身に付ければ、美容室の大きな課題である生産性は著しくアップします。なかには人時生産性で1500円もアップしたという驚異の実績の例もあります。聞くと、お客様が感動して涙を流すそうです。「よくそこまで聞いてくださった。こんな美容室、初めてです」と。

 

しかし残念ながらこのノウハウは、私のクライアント様だけが手にできるもので、当然、私の実践指導付きが必須です。カウンセリングの手法を180度変えなければいけませんが、それは従来のビジネスモデルを180度変えることに等しいのです。互いの信頼関係がないととても成果が出るものではありませんし、またレポートだけ差し上げてそれで良しという安易なものでもありません。

一度、私が主宰する「MASAサロン経営研究所」のホームページをお訪ねください。あなたの希望に見合ったコンテンツが見つかるかもしれません。

 

https://www.masamgt2811.com/

 

 

このように、メニューを前面に掲げる営業のやり方がその効力を失ってすでに100~50年にはなるのです。陳腐化どころか、まったく無効です。無効のなかで互いにお客様の奪い合いをしているのですから、美容室の社会的価値は上がるはずがありません。価値が上がらないから、さらに価値を下げてしまう料金の値下げが横行し、どこぞの集客サイトに多額の広告料金を上納しなければならなくなって、ただでさえ利益が出ないところをさらに利益が圧迫されるといった状態にあります。

さらに、集客コンサルなるものが出没し、こうすれば効果抜群なんて煽っています。これも枝葉の対症療法です。

だから一向に生産性は上がらず、従業員は給料の低さと労働条件の劣悪さに嫌気が差し、さらに生産性は落ちます。負のスパイラルに陥っているのです。

この生産性は経営規模が大きくなればなるほど低下してきます。すでに従来のマーケティング1.0、つまりメニュー主体のビジネスモデルは崩壊しているのです。

 

お客様の自己実現欲求に対応したマーケティング4.0時代の美容室のビジネスモデル、こちらを一刻も早く立ち上げなければなりません。

 

「どんなマーケティングでも、駄作をヒットさせることはできない。」

スティーブ・ジョブズ

 

【美容室の解決すべき根本問題】<前編>

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枝葉のことで騒ぐ

こんな時代です。

少しでも不安を解消しようとしてか、やれ新製品・新メニューだとか、画期的集客方法だとか、副業とか、こっちの水は甘いぞとばかりに、さかんに吹聴する人がいます。

反対に、いたずらに不安を煽って、よくない方向へ誘導しようとする邪(よこしま)な人もいます。

 

いずれにしろ、そんなことは枝葉のことにしか過ぎません。対症療法にしか過ぎないのです。

対症療法にばかりお金と時間を使っていると、1つの問題を解決したと思っても、また1つの問題が起こり、その問題を解決したと思ってもまた新たな問題が・・とキリがありません。

なぜなら、根本治療を怠っているからです。

生産性が思うように上がらないのは、稼働率に問題があるからです。稼働率になぜ問題があるのか、それは集客ができていないからです。なぜ集客ができていないのか、リピート率が低いからです。

なぜリピート率が低いのか。お客様の満足度が低いからです。

では、なぜ満足度が低いのか。

・・・こうやって問題を追求していくと、根本的な問題点に突き当たります。

 

根本的な問題点に突き当たるまで追求しないで、よーし集客に力を入れようとお金をかけて集客活動をして、それで効果が一定程度あったとしても、ザルで水をすくうようなもの。すぐにこぼれていってしまいます。

なぜなら、一度は来店に結び付けたとしても、不満足が解消されない限り歩留まりは起きません。リピートには至らないからです。

 

こういうときこそ、陽明学の開祖・王陽明の「抜本塞源論」が有効です。つまり、病根を見つけて根こそぎ断つこと。こういう態度こそ望まれるのです。

 

価値と料金の関係

 

さて、価値と価格は相関関係にあります。

ではなぜ美容室の価格、料金は上がらないのか。

というよりも、なぜ料金はデフレ気味なのか。

つまり、美容室で提供するサービスや存在の価値でトータルに判断されるところの美容室・美容師の社会的な価値、これがなぜ上がらないのか。

 

この辺の相関関係をしっかりと理解しなければなりません。

理解しなければ、生産性だって上がるはずがないのです。

 

マーケティングのこと

 

ここでマーケティングを取り上げます。

マーケティングの力をあまりにも業界は軽視してきた、いや、無視してきたに等しいと思います。

だいたい複数店舗を擁する企業体の美容室でも、専属のマーケティング部を設けているとことは皆無に近い。

それほど規模が大きくなければ、経営者がマーケティング業務を兼務しなければなりませんが、マーケティングを単なる販促と勘違いしているケースが圧倒的に多い。

多くの経営者との交流を通しての実感です。

これらの事実だけでもマーケティング無視の実態は証明されているでしょう。

だから今日のテイタラクをもたらしたと言っても過言ではない、そう言い切ってよいと思います。

 

マーケティングを語るうえで絶対外せない巨人、それがフィリップ・コトラーです。初めてマーケティングなる概念を植え付けた先駆者であり、「マーケティングの神様」と呼ばれている人です。

 

その“神様”が時代の変遷ごとに消費者の意識と行動の変化を読み取り、いち早くマーケティングのテーゼを設定し世に発表してきました。

そのマーケティング・テーゼの変遷をざっと見てみましょう。

 

マーケティング1.0・・・【製品主導】(1900~1960年)*大量生産大量消費

マーケティング2.0・・・【消費者志向】(1970~1980年)*製品の差別化

マーケティング3.0・・・【価値主導】(1990~2000)*企業の社会的責任

マーケティング4.0・・・【自己実現】(2010年~)*消費者の自己実現欲求

 

だんだんと消費者(カスタマー)の実像が高度化・多様化・複雑化していっているのが明確です。さらに、マーケティング3.0の時代から、環境や教育に配慮しているのか否かと企業の姿勢に厳しい目が向けられるようになったことにも注目しなければなりません。(カラー剤やパーマ液など生活排水として垂れ流している実態は、環境に配慮しているとはとても言えませんよね)

 

さて、ざっとマーケティングの現在の変遷を見てきましたが、美容業界がなぜ価値が上がらないのか、料金が上げられないどころかデフレ傾向を強めているのか、生産性が上がらずに従業員へ低い報酬しか支給できないのか。

すべての「根本原因」がここにあるのです。

<つづく>

 

「“良いモノは売れる”という考え方は、自分を中心に世界は回っていると考える『天動説』と同じ。」(正垣泰彦:サイゼリア創業者)

 

【広告コピーライティング講座】 その2「異化効果」

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予定調和では響かない

 

シリーズ・広告コピーライティングの2回目です。1回目の「韻を踏む」をまだお読みでない方はあわせてお読みください。

言葉は予定調和で使ったとして、せいぜい肯定する意見であっても、その通りだよね、で終わってしまいます。だから印象としてほとんど残りません。

 

たとえば、男性は論理的に説明すれば納得が得られる。

女性は、理屈ではなく感情に訴えれば話は早い。

 

なんていうのは一般的によく言われていることで、その通りだね、と予定調和に話が進みますが、それはそれで当たり前すぎてなんの感興も催しません。しかも話として記憶に残らない。人の心も動かしません。

 

「異化」の具体例

 

ところが、こういう言い方だとしたらどうでしょう。

 

「トタンがセンベイ食べて

春の日は穏かです

アンダースローされた灰が蒼ざめて

春の日の夕暮は静かです」

 

中原中也の『春の日の夕暮』その書き出しの部分です。

 

え? トタンがセンベイ食べるってあり得るの?

アンダースローされたってどういうこと? 灰がなぜ蒼ざめるの?

 

こういったように平穏に予定調和に話が流れるのではなく、意外に展開する光景に目が奪われます。

トタンやセンベイや灰がまるで意志のある生き物のように動いていますね。

それでいて、ただの“静か”と表現するよりも、より静かさが深まった、穏やかさが強調された、そんな感慨に打たれるのではないでしょうか。

 

「静か」の延長で連想されるのが次のフレーズです。

 

「静かさや岩にしみ入る蝉の声」

 

ご存知、松尾芭蕉の有名な句です。

今は盛りの蝉しぐれ。本当はうるさく聞こえるものを、「岩にしみ入る」で蝉の声を吸収してしまいます。そこに静かさがなおのこと強調されます。

 

このように、予定調和で言葉が終始するのではなく、「え?なんで?」という言葉の展開。それでいてとても印象に残る表現。

 

これを「異化効果」と言います。

 

 中島みゆきさんの表現

 

もう少し例を挙げましょう。中島みゆきさんの数々の独得な表現。

 

「ひとり上手と呼ばないで

心だけ連れてゆかないで

私を置いてゆかないで

ひとりが好きなわけじゃないのよ」(ひとり上手)

 

「別れはいつもついて来る 幸せの後ろをついて来る

それが私のクセなのか いつも目覚めれば独り」(わかれうた)

 

「あぁ 人は昔々

鳥だったのかもしれないね

こんなにも こんなにも

空が恋しい」(この空を飛べたら)

 

「観音橋を 渡らず右へ

煤けた寺の縁の下くぐり

グズベリの木に登って落ちた

私は橋のこちらの異人」(観音橋)

 

ひとり上手とは普通は言いません。せいぜい「ひとりが似合う女」と表現するでしょうか。それを「上手」と表現することで強力な異化効果を発揮しています。

同じように、わかれる悲恋を繰り返していても、それを生得のもののように「クセ」とは言いません。

 

鳥だったかもしれない人間。鳥葬という葬儀の形式が昔々にはありました。それはご先祖が鳥に姿を変えてやってきて、死んだ人の魂を山の向こうへ、つまりあの世まで無事に届けてくれる。そういう、死と再生の神話があったからです。

独得のメロディーと相まって、そんな哀感あふれる、古層に堆積した記憶といったものをほうふつとさせます。

 

観音橋が出てきたら、普通は渡ります。それが、「渡らず右へ」。しかもわざわざ煤(すす)けた寺の、胎内くぐりを思わせる縁の下をくぐって木に登って落ちる。さらに「私は橋のこちらの異人」だという。

 

とても考えさせられる歌詞です。さらりと歌い流し聞き流すことはできませんね。見事な異化効果です。

 

糸井重里氏が放った異化

 

もうひとつ、きわめつけの例。

 

おいしい生活

 

糸井重里氏の広告コピーです。1980年代の初頭に、コピーライターブームを盛り上げた記念碑的なコピーです。『日本のコピーベスト500』の第1位に選出されました。ちなみに第2位は、同じく糸井氏の「想像力と数百円」(新潮文庫)でした。

「おいしい」も「生活」も普通の言葉。しかし、だれもこの2つの言葉を結び付けようとは思いもしません。「おいしい」と「生活」とは異質だからです。これを結び付けることで強力な異化効果を生んだのです。

また、当時の高度経済成長期に、生活に余裕を持つ消費トレンドという大きなムーブメントが背景にあったことも見逃せません。

 

職業柄、数多くのコピーライティングを目にしてきましたが、この「おいしい生活」を超えるコピーにいまだ出合っていません。

 

コピーを創ってみよう

 

さて、それでは異化効果のある広告コピーを創ってみましょう。

 

技術の確かさ、豊富なメニュー、フレンドリーな接客、リーズナブルな料金といった、予定調和な謳い文句をいくら駆使してアピールしても、消費者の印象に残りません。心にも刺さりません。

心に刺さらなければ来店は見込めません。

 

だから予定調和を裏切る表現を、つまり「異化」を考えてみることです。

たとえば・・・

 

 

▷集客編

「髪を切らずに悲しみを断ち切る」

 

「髪を染めずに心を染める」

 

「私に5分の時間をください。あなたのことが知りたいから」

 

「たまには他店に浮気して。うちの良さが改めてわかるから」

 

「ふだんを変える。それがいちばん人生を変える」

 

「キレイな人の、私、何もしていません、は大抵ウソです」

 

などなど。

 

 

▷求人編(新人編)

「いやいや働くほど、人生は長くない」

 

「あなたの働く目的は何ですか」

 

「5年後の未来を聞こう」

 

「出るクギ歓迎。出過ぎるクギもっと歓迎」

 

「あなたの理美容師人生を決する大事な一歩。お金や待遇だけが判断基準ですか」

 

 

▷求人編(中途採用編)

「あなたは昨日、何時間生きていましたか」

 

「人柄募集」

 

「組織とは、互いのハラを見せ合うことではない。みんなで同じ方向を見ることだ」

 

有限の財産である「お金」は使わず、無限の財産である「知恵」を使う。広告コピーは言葉。だから掛け値なしにとてつもない武器なのです。

 

「Think different」(スティーブ・ジョブズ

 

窮したときに涙する先賢の言葉

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無策が招くコロナ禍の窮状

 

物事は順調に行くことはまれです。大抵は日々発生する問題に取り囲まれています。生きることであれ、事業をやっていることであれ、同じです。

「人の一生は重い荷を負うて行くが如し」

 

とは徳川家康の名言です。

 

なかでも大きな問題が今、起こっています。

申し上げるまでもなく“コロナ禍”という大問題です。

ワクチン頼みの政権ですが、その肝心のワクチンの供給が間に合わない。たとえ間に合ったとしてもコロナの変異株には効力が期待できないとか、3回摂取が必要だとか、だいいち接種後の副反応が心配だとか、接種後の死亡例が無視できない多さに及んでいるとか、まったく対策もメディアの情報もアテにならず迷走を繰り返しています。

にもかかわらず、見切り発車のオリ・パラ開催で、選手村からとうとうクラスターが発生してしまいましたね。

無策の極めつけは入院制限。中等症の人は自宅療養って、空いた口がふさがりません。中等症って呼吸困難状態にある人のことで、これじゃ国民を見殺しにすることに変わりがないのでは?

 

事実、PCR陽性者(感染者ではありません!)は異常な増え方で、政府は、あいかわらずの経済活動を犠牲にした緊急事態宣言やまん延防止策を発令するのみで、補償はまったくありません。考えてもいないようです。

 

国民を見殺しにするどころか、中小企業潰しの現政権と批判されても仕方がないでしょう。事実、菅内閣の政策ブレーンはデービッド・アトキンソン氏と竹中平蔵氏で、日本企業の生産性の低さは圧倒的多数を占める中小企業に起因している、だから中小企業は淘汰されるべきだ、というのが両氏の持論です。

だから中小企業の窮状になんの手も打たず、潰れるものは潰れてしまえというのが政府のホンネなのですね。

 

キング牧師の言葉

 

政策批判は本題ではありませんので、この辺でやめておきます。

ただし、アメリカの公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キング牧師の言葉、

「最大の悲劇は、悪人の暴力ではなく、善人の沈黙である。沈黙は、暴力の陰に隠れた同罪者である。」

 

ということなので、こういう貴重なブログというメディアを持っている限りは、言うべきことは言おうと思うのですね。

 

生死一如

 

さて本題。このように、コロナ禍を代表とする大きな問題の渦中にあるわけです。

 

そこで、こんなときこそ先賢と言われる先人の哲人・賢人に学ぼうというのが今回のブログのテーマです。

 

仏教には「生死一如(しょうじいちにょ)という言葉があります。

生と死は表裏一体だというわけですね。

だから、より良く死ぬとは、より良く生きることだと。

死に臨んでの最大の後悔は、人生にチャレンジしなかったことだと、終末医療に携わった医師は言います。

こうなると、人生の最大の後悔です。より良く生きてはこなかった‥。

 

そして、チャレンジした人だからこそやってくる幾多の試練。

時には、もうだめかもしれないと打ちのめされるほどの。

 

変ずれば通ず

 

しかし『易経』にはこう書かれます。

「窮すれば則(すなわ)ち変ず、変ずれば則ち通ず

 

苦しんで苦しんで進退窮まるほど追いつめられたときに、今までのやり方・考え方を根本から変えてみる。いや、変えるしか手はない。そして変えてみれば、まったく新しい発想でのやり方・考え方が思いつき、ビジネスに応用すれば新たなビジネスモデルの確立ができて、次の繁栄の原動力になる。

原動力になるどころか業界のスタンダードにもなっていく。

そんな意味合いです。

 

2500年の時を隔ててドラッカーはまったく同じことを言っています。

「世の中の認識が、『コップに水が半分残っている』から『半分空である』に変わるとき、イノベーションの機会が生まれる。」

 

進退窮まった人、真っ当な危機意識を持つ人にこそイノベーションの機会がやってくる、反対に、現状維持に甘んじている人にはイノベーションの機会は永遠に訪れることはないのでしょう。なぜなら、“コップに半分残っている”ことで安心してしまうからです。

資本主義の発展には絶えることのないイノベーションの繰り返しが欠かせないのですね。

 

なぜなら宇宙の絶対法則とは、絶えず変化してやまないことにあるからです(諸行無常)。

 

どう生きるかを選ぶ

 

そしてもうひとつ、私の大好きなジョーン・バエズの言葉。

「You don’t get to choose how you’re going to die or when.

You only get to choose how you’re going to live.」

―いつ、どのように死ぬかは選べない。

どう生きるかを選べるだけである。―

まさに「宿命」と「運命」の違いを端的に指摘して、宿命に負けてはいけない、運命を好転させるのはあなた自身だと鼓舞しているのです。 

 

さらにおまけの汽車ポッポ。

「未来は、いくつもの名前を持っている。

弱き者には『不可能』という名。

卑怯者には『わからない』という名。

そして勇者と哲人には『理想』という名である。」

ヴィクトル・ユーゴー

 

 

危機こそチャンス!

 

たとえ状況は窮するようであったとしても、あなたは勇者であり哲人です。

さらに組織をまとめる君子でもあります。

そんな人こそ、変革者であり、時代を担うに足るチェンジリーダーその人であるのです。

 

「危機」という字は、危険と機会(チャンス)が背中合わせの状態を表しています。まさに「危機こそチャンス」なのです。

この千載一遇とも思えるほどの滅多ないチャンスをぜひわがものとしていただきたいと思うのですね。

【広告コピーライティング講座】 その1「韻を踏む」

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感染源は言葉

 

世が世です。カミュの『ペスト』が売れているようですね。

しかしペストの主題は病原菌ではありません。

「言葉」・・その感染力はすさまじい。

言葉こそ病原菌以上の感染源であると著者はいうわけです。

 

「ペンは剣よりも強し」

「はじめに言葉ありき」

「言葉は言霊」

 ・・・・・・・・・

 

ということで、人を生かしもし殺しもする圧倒的な力を持っている「言葉」。

ネットやSNSなどツールはどんどん進化し多様化していますが、そんなときこそ「言葉」で圧倒的に差をつける。言葉にまさるものはありません。

そんなパワーのある言葉を世の中は求めています。

 

言葉を使いこなして“お客様のこころをわしづかみ”

広告コピーとして、「おおいに」「応用」して「みよう」(と今回のテーマである「韻を踏む」を実行しています)ではありませんか。

 

テクニック「韻を踏む」

 

記念すべき今回は第1話として「韻を踏む」

(以後、何回かにわたってコピーライティング講座を開講していきます。)

 

同じ言葉や、同じ母音や母音を持つ言葉をくりかえし使うことによって、独得のリズム感が生まれ、いったん目にする(というより耳にする)と、頭にこびりついて離れません。

そんな魔法のような、言葉のテクニックが「韻を踏む」です。

 

 

まず例を挙げます。

 

プラトンニュートン、ヒノノニトン

トントントントン ヒノノニトン(CM)

 

ソーリー ソーリー ヒゲソーリー

アイアムソーリー ヒゲソーリー

ウワサの床屋 裏ドーリー

 

(別バージョン)

アイアムソーリー ヒゲソーリー

マスク配るの 安倍ソーリー

 

・・どうですか、一度目にしたら(いや、耳にしたら)忘れられないですよね。

 

ダジャレ感が過ぎるというのであれば、ちょっと格調高く文学的にもやってみましょう。

 

格調高く韻を踏む

 

「人間が人間として生きている

ブドウがブドウの木であるように」

 

ゆりかもめゆるゆる走る週末を

漂っているただ酔っている」

(以上、俵万智

 

独得の言語観とリズムが押し寄せてきて、快感に震えます。

こういうのもあります。

 

「かくすればかくなるものと知りながら

やむにやまれぬ大和魂

吉田松陰

 

これだけ何度も韻を踏んだ表現であるだけに、作者の想いが倍増して重く圧しかかります。作者の覚悟に圧し潰されてしまいそうです。

 

そういえば冒頭にあげたカミュの別の小説『異邦人』では、主人公の名はムルソーMeursault。「死ぬ」meursと「太陽」soleilを組み合わせた韻を踏むというネタばらしがあります。

 

広告コピーへ応用する

 

さて、本題はここからです。

そんな強烈な効果のある「韻を踏む」コピーを考えてみましょう!

 

「トレンドにあなたらしさをブレンド

―「トレンド」と「ブレンド」で韻を踏んでいます。

 

「個性ひきたつヘアスタイルで、あなたのライフスタイルきわだつ

―「ヘアスタイル」と「ライフスタイル」に加えて「ひきたつ」と「きわだつ」も欲張って使用。

 

お使いになるのは自由です。お店の個性に合わせてアレンジしてみてください。

ただ、無意味なダジャレはかえって薄っぺらに思われてしまいます。

また、せっかくのリズム感が失われてもいけません。

要注意です!

 

やはりプロの手を借りたい。そう思われる方は私宛メールください。

 

下に掲げたのは天才詩人と言われた中原中也の詩です。いったいいくつの言葉が韻を踏んで使用されているか、見つけてください。

これだけ韻を踏む表現にふれていると、どんどん人や物や音が増殖・増幅するイメージで圧倒され、強く印象に残ります。

 

 

あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ

ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

月給取の午休み、ぶらりぶらりと手を振って

あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口

空はひろびろ薄雲り、薄雲り、埃りも少々立つてゐる

ひよんな眼付で見上げても、眼を落しても……

なんのおのれが櫻かな、櫻かな櫻かな

あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ

ぞろぞろぞろぞろ、出てくるわ、出てくるわ出てくるわ

大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口

空吹く風にサイレンは、響き響きてきえてゆくかな」

中原中也「正午」丸ビル風景)

 

器量と度量

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器量と度量の違い

 

リーダーシップの資質を云々する場合、「器量」「度量」という言い方があります。

「器量」とは、仕事における対処能力のことであり、「度量」とは、他人からの批判でも、他人の失敗でも、受け入れる心の広さのことです。

 

陰陽で考えると、陽の力が器量、陰の力が度量です。

 

さて、リーダーに相応しいのはどちらの資質かというと、そうです、度量です。

器量優先で会社のトップになったり、組織の長となったりすると、自分自身、仕事ができるだけに、できない人を見るととても我慢がならなくなります。こんなこともできないのかと、できない人を軽蔑します。それが大きな威圧感となっていきます。

そんなリーダーには人がついていけず、人心が離れていってしまいます。

「名選手、必ずしも名監督ならず」とプロ野球で言われているようですが、典型的な例でしょうね。

 

一方の度量です。

人の能力を活かし、人を育てるのは度量です。

リーダーは、度量という陰の力を育てることにおろそかであってはなりません。

 

人間一人の力には限りがあります。人間一人の能力ではたいしたことはできません。衆知を集め人の力を活かすという謙虚な姿勢でマネジメントする力が欠かせないのです。つまり、度量の人が必要なのです。

 

有名な項羽と劉邦

器量にまさっていた項羽(こうう)は度量にまさっていた劉邦(りゅうほう)に最後には負けてしまいます。

項羽はまさに鬼神のような武勇で連戦連勝する戦の天才。一方の劉邦は、戦の才はまったくなくてもおおらかな人柄で推戴されて漢帝国を興すことになる度量の人です。

 

仕事のできる人の問題点

 

能力主義や実績主義を重要視するあまり、仕事のできる人をセクションの長(たとえば店長や人の上に立つ役職)に据えると問題が発生します。

私の経験から申し上げて、そういう例には残念ながら多く出くわします。

多店舗展開している会社のある店長のいる支店では、際立ってスタッフの離職が絶えないということがありました。

社長、そしてその店のスタッフへの聞き取り調査をしました。なんでもその店長は部下の失敗は許さず、かける言葉はきつくなる。時として、本人にそんなつもりはないのでしょうが、人格否定にも等しい言葉を吐いてしまう。

よく吐かれる言葉が「こんなこともできないのか、美容師失格!」です。

これでは労働審判に訴えられでもしたら、パワハラモラハラで100%敗訴でしょう。

 

原因は、仕事ができるという器量を優先した店長職への人事とわかり、社長の了解を得て、説得の上、技術職のトップとして相応しい名誉の役職を与えて店長から降りてもらいました。

後任に据えたのは、仕事の成果はそれほどでなくても、度量が大変まさった人です。

そのお店はそれ以来、離職するスタッフは出ることがなくなりました。

 

誰を登用するか?!

 

成果主義が言われ、成果主義人事が横行すると、同種の問題が発生します。ことに最近、経営的に余裕がなくなっているせいでしょうか、同じような例が多くなっている気がします。

 

つまり、器量よしの才人を登用するのではなく、才よりも徳の優れた人、つまり君子を登用することに尽きるのですね。それが組織マネジメントの要諦です。

 

 

「才徳全尽(さいとくぜんじん)、之(これ)を聖人といい、才徳兼亡(さいとくけんぼう)、之を愚人という。徳、才に勝つ、之を君子といい、才、徳に勝つ、之を小人という。凡(およ)そ人を取るの術、苟(いやしく)も聖人君子を得て之に与(くみ)せずんば、その小人を得んよりは愚人を得んに若(し)かず。」

司馬光資治通鑑』)

―才と徳が完全なる調和をもって大きな発達をしているのが聖人である。反対に、これが貧弱なのが愚人である。およそ才が徳に勝てる者は小人といい、これに反して、徳が才にすぐれている者は君子という。

人を採用するとき(あるいは登用するとき)は、絶対的に君子を採って、小人を排すること。小人を採るのであれば、むしろ才のない愚人を採るほうがよい。

 

【経営の原理原則】シリーズ㊷~㊺+番外編(最終回)

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5つある利益

 

【経営の原理原則】その42

「5つの利益と営業利益の重要性」

 

決算書の損益計算書(P/L)には5つの利益が記されています。

 

売上総利益(粗利益)

・営業利益

・経常利益

・税引前利益

・税引後利益

 

どれも重要な項目です。内容をきちんと把握できていなければなりません。この5つの利益のそれぞれをしっかり把握することが原理原則というわけですが、今回はこれの発展形で。

 

あえてこの5つの利益のなかで最重要な利益とはなんですか?と問われたら、あなたはなんと答えますか。

 

銀行に印象を良く見せるのは経常利益だから、経常利益が最も重要と答える人もいるでしょう。

 

いや、税金をできるだけ少なくしたいので、税引前利益とお答えになるでしょうか。

 

ここ数年、会社の業績評価として一番の重要な項目は「営業利益」なのですね。

確かに従来は「経常利益最強論」がまかり通っていましたが、さまざまな弊害が露呈したようです。

営業利益はそこそこにして、雑収入にたとえば保険の解約金などを突っ込んで経常利益を膨らませるなんてやりかたが、まったく評価されなくなったのですね。

 

その企業の本当の実力、つまり1年間、いかに本業で稼ぎ出したのかがモノを言う、そんな評価になったのです。

お気をつけください。今後の決算書の作り替えのご参考までに。

 

 確実な未来予測

 

【経営の原理原則】その43

「人口構造の変化はすでに起こった未来」

 

ドラッカーがその著『イノベーションと企業家精神』のなかで、「イノベーションのための7つの機会」としてその5番目に挙げているのが、「人口構造の変化」なのです。

ドラッカーは「人口構造の変化ほど明白なものはない」として、少し長いですが、そのまま引用します。

 

アメリカの10代の女性は安い靴をたくさん買う。基準となるのは、耐久性ではなくファッション性である。この同じ女性が10年後にはあまり靴を買わなくなる。17歳ごろの2割程度に減る。ファッション性は重要ではなくなり、履き心地や耐久性が基準になる。

先進国では、60代、70代の退職後間もない人たちが、旅行や保養の市場において中心的な世代となる。ところが10年後には、この同じ人たちが高齢者コミュニティの客となる。

共働き夫婦には金はあるが時間がない。彼らはそのような人間として消費する。また、若いときに高等教育、特に高度の技術教育を受けた人たちは、卒業の10年後20年後には、高度の再教育コースの受講者になる。

欧米や日本などの先進国はオートメ化せざるを得ない。少子化と教育水準の向上という人口構造の変化だけを見ても、先進国の製造業における伝統的なブルーカラーの雇用が減少することはほぼ間違いない。」

 

 

このように人口構造の変化は「すでに起こった未来」なのですね。近未来がどうなるかは容易に、しかも精度が高く予測できることなのです。

 

ところが現実には違うとドラッカーは言います。

「このような人口構造の変化が、企業家にとって実りあるイノベーションの機会となるのは、ひとえに既存の企業や公的機関の多くが、それを無視してくれるからである。彼らが、人口構造の変化は起こらないもの、あるいは急速には起こらないものであるとの仮定にしがみついているからである。まったくのところ、彼らは人口構造の変化を示す明らかな証拠さえ認めようとしない。」

 

本当にその通りですね。人口構造の変化を無視した政治や行政のせいで、年金をお年寄りに大盤振る舞い。豪華な保養所の建設に湯水のごとくお金を使いました。そして結果は、積み立てた年金の枯渇、高齢者と若者の年金受給の不公平を生み出し、年金そのものも破たんに瀕しています。

 

業界に限って見てみても、加速化する少子化の流れを無視して美容学校の設立ラッシュをした結果、定員割れが続出しています。一方では、人口減少は着実に進展しているにもかかわらず、美容室の新規乱立で顧客数を獲得できず、おまけに圧倒的な売り手市場になった美容師採用が困難を極めています。

 

すでに日本人の平均年齢は49歳です。世界一の高齢です。これもすでに起こった未来でわかっていたことです。顧客の半分を占める49歳以上の女性を対象に、49歳以上の特有の「お悩み」解決に向けて解決策を提示する、そんな選ばれる美容室づくりをやって来ましたか?

 

このように、人口構造の変化は近未来予測としては、すでに起こった未来のように確実に把握できるものです。気づいたときには変化に翻弄されるという受動的な姿勢では取り残されます。お店の存続そのものが危うくなります。

 

もうひとつ、コロナ禍によってますます進む分断化、非人間化、孤独化、デジタル化のなかで、あなたはどこに目を向け、どうやってビジネスを発展させていけばいいとお考えですか?

 

長く存続する誓い

 

【経営の原理原則】その44

「企業はゴーイングコンサーン

 

ゴーイングコンサーン(Going Concern)は「継続企業の前提」とも呼ばれ、企業が将来にわたり存続し、事業を継続していくという前提のことを言います。

 

財務諸表を作成するうえにおいての前提条件でもあり、株式が公開されている企業には、企業存続の前提に重要な疑義をいだかせる事象や状況が発生すれば、しっかりとその旨を「重要事象」として明記しておかなければなりません。田谷さんの場合は、残念ながらこの重要事象が明記されたままの状態です。

 

つまり、会社を立ち上げた限りは、企業を永遠に存続させます、という誓いの言葉がこのゴーイングコンサーンです。結婚式で結ばれた男女が、この愛を永遠に誓いますと宣誓するのと一緒です。

 

一度会社を創った限りは永遠に存続させたい。創業経営者なら誰でも思うことです。

 

しかし現実には、企業存続30年説、短い場合は10年説と言われるように企業の寿命は短いですね。

東京商工リサーチの調査によると、2020年に倒産した企業の平均寿命は23.3年だそうです。

また帝国データバンクの発表によると、100年継続する企業はたった2%だそうです。

 

だいたい、ゴーイングコンサーンを誓っても、志半ばで、刀折れ矢尽きて20年程度で倒産していくというのが実態のようです。

 

倒産の原因は、ほとんどが「販売不振」です。販売不振を引き起こした要因として、過当競争、消費税増税や今回のコロナ禍のように外部環境の変化と、後継者不在も含めたマンパワー不足といった内部要因があげられます。

 

と、外野席でああだこうだと訳知り顔で言っていても始まりません。

もう一度、ここで原点に立ち帰って、5年後、10年後の事業をどうしたいのか。自社が存続する社会的な意義と存在理由はなんなのか。それらのミッションとビジョンに立ち帰っていただきたいのです。

 

なるほど、自社と自社の事業がなければ地域社会にとっての大きな損失だ、もっともっと社会に貢献して、5年後はこうなってみせる、10年後はこうだ!

そんなミッションとビジョンの再確認をして、腹の底にズシリと収めていただきたい。

そして、さぁ、明日から具体的に何をやるのか、スタッフとともに目標設定して行動へと落とし込んでいってほしいのです。

 

そう、ゴーイングコンサーンをめざして。

 

デジタルの次に来るもの

 

【経営の原理原則】その45

「アナログな人間関係の深化」

 

気の利いた経営手法でもありません。最新のマーケティングテクニックでもありません。

規模の大小も、資本力の強弱も、まったく関係ありません。

 

最終的にモノを言うのは「人間力」です。

デジタルではなく、アナログの人間くささです。

 

デジタル化が進展し、このコロナ禍での非接触化、リモート化に象徴されるように、人間対人間のダイレクトな交感がどんどん希薄化してくると、逆に人間同士の触れ合いがとても貴重になってきます。

 

近未来予測において、信頼すべき哲学者や思想家がおしなべて強調しているのが、アナログな人間関係の復活です。

なかでも、いま世界で最も注目されている新進気鋭の哲学者であるマルクス・ガブリエルはアフターコロナの世界において、大変興味深いことを言っています。

 

グローバル化が民主主義の危機を引き起こしたとして、ローカルでしかもバーチャルな形ではない協力体制の構築が真の民主主義を生み出す。

 

●デジタル革命の後には、お互いがそばにいてリアルな関係性を構築するアナログ革命が起こる。

 

●「善」のビジョンを掲げた、道徳を中心にした新しい啓蒙主義の哲学が必要になる。

 

というようにアフターコロナ後の世界の在り様を述べています。なにもアフターコロナ後だからと先送りしていいわけではありません。おそらくすぐに来るであろうアフターコロナにそなえて、今から準備しておくのが賢明です。

 

マルクス・ガブリエルは哲学者らしく、難しい言葉で述べていますが、理美容業界流に翻訳して記せば、このようなことになるのです。

 

結論から申し上げれば、これは理美容業の豊かな未来を語っていることに等しいのですね。

なぜなら、デジタル後のアナログなコミュニケーションによって、ズタズタに引き裂かれてしまったかもしれない人間関係を真に豊かなものにしてくれる。ということは、民主主義の復活を意味しているということです。その担い手が理美容室だと解釈できるわけです。

 

しかもローカルな協力体制において、です。ローカルもローカル、地域密着の業態特性から言って、理美容業のことにほかならないのです。

 

さらに「善」のビジョンを掲げた新しい啓蒙主義を実践しているのは理美容業であり、まさにズダズダに引き裂かれてしまった、一人ひとり「個」の顧客を大事にして、‟そのまま・あるがまま“を受け入れ、尊厳と人間性回復を担う最前線に位置する理美容業の豊かな可能性を予測していることになりますよね。

 

デジタルでは決して得られないアナログによる人間関係の深さと可能性。

この可能性を徹底深化・発展させようじゃありませんか!

 

おまけの番外編

 

【経営の原理原則】番外編

「墓碑銘になんと刻むか?」

 

【経営の原理原則】シリーズは45回で終了といたします。

さらにその番外編として、どうしてもお話しておきたかったのがこのテーマです。

 

「墓碑銘に刻む言葉」――。

個人の人生の集大成となる言葉。自分が生きた証となる言葉。人生一回限り、この言葉に1ミリの嘘もないというぎりぎりの言葉。

この言葉通りに生きることを、その人のかけがえのない、価値ある人生というのでしょうね。

つまり、墓碑銘に刻む言葉をいったん決めてしまえば、その決めた通りの人生を歩むという、真っ直ぐに背骨の通った生き方ができるわけです。

 

先人の墓碑銘を見てみましょう。

 

「生きた、書いた、恋した」

スタンダール:世界的な小説家。まさに『恋愛論』『赤と黒』の名作を生んだ人に相応しい言葉ですね)

 

「科学への献身を通じ、人類のために生き、人類のために死せり」

野口英世:一生を科学に殉じた生き様の言葉です)

 

「己より賢明なる人物を身近に集める術を修めし者ここに眠る」

カーネギー:鉄鋼王としてその事業の成功には多くの才能豊かな人材を身近に置いていました。そして才能が豊かなだけに組織がバラバラになりかねないのを、見事にマネジメントによって統制したのがカーネギーです)

 

そして、日本人には墓碑銘よりもなじみの深い辞世の句、あるいは辞世の言葉。

 

「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世。

我、生涯に言い棄てし句々、一句とて辞世ならざるはなし。」

松尾芭蕉

―さすが俳聖といわれた芭蕉の言葉です。死に際に臨んで弟子から辞世の句を望まれたときに語った言葉です。「昨日の発句は今日の辞世の句、今日の発句は明日の辞世の句。私は生涯、辞世の句との覚悟で発句しなかったことは一句たりともなかった」と。凄い言葉です。

 

「天が私にあと十年の時を、いや五年の命を与えてくれるのなら、本当の絵描きになってみせるものを。」

葛飾北斎

―あの富嶽三十六景で世界的に知られる北斎。まだまだ描き足らない、本当の絵描きになっていない。いま死んだとしたら画家として大成がならないと思い込んだその執念。凄まじいものがあります。

 

あなたはどんな墓碑銘の言葉を刻みたいですか?

刻むべき文字に相応しい人生の終章が訪れる時=死から逆算していって、さて、今の生き様はどうなのでしょう? 墓碑銘通りの人生を送っていますか?

 

 

【経営の原理原則】シリーズは45回と番外編をもって、今回で一応終了とさせていただきます。まだまだ書き足りないことがあります。重要なことには変わりない原理原則はあと30回分はネタとしてあります。

 

結構気合を入れて書きました。でも、この辺でやめておきます。このような原理原則は頭で理解したとしても、実践で活かさなければ何の成果も生まないからです。数多くご紹介すればするほど、実践で落とし込むのはわずらわしさを感じてしまうでしょう。できれば言い出しっぺの私が伴走者となって一緒に走っていければいいのでしょうが、それも許されません。

一緒に走ってみたいと思われる方は、このたび勉強会を立ち上げましたのでこちらにご参加ください。「オンライン経営勉強会[未来創造]」といいます。

https://peraichi.com/landing_pages/view/jyukukeiei?_ga=2.190457899.1661916719.1622789191-680667943.1610193871

 

何もかもが変化が急で、また変化の揺れ幅が大きすぎます。

だからといって目先の、一見効果がすぐにでも出るようなテクニックやハウツーに飛びついてはいけません。こういうときこそ原点に、そう、原理原則に立ち帰ってみることの重要性をこのシリーズで訴えてみたのです。長い間お読みいただき大変ありがとうございました。

 

「一本のろうそくは何千本ものろうそくに火を灯すことができる。幸福もわかちあうことで減ることはない。」

ブッダ

 

 

 

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初出掲載:2020 年3 月19 日