本を読まなくなった日本人
いま、SNSでやっている本の紹介バトン。私にはバトンが渡ってきそうもありません。なぜかと問われれば明確には答えられないのですが、確信に近いものがあります(笑)
そこで、独りバトン回しで私のおススメ本を紹介してみようと思います。
その前に、少々古いデータですが、1週間の読書時間を世界比較したものがあります。それによると日本人は先進国で最低レベルの4.1時間であるということです。
ちなみに世界一の読書時間はインド人で10.7時間ということですから、日本人のそれは半分以下。だいぶ開きがありますね。(2位は台湾の9.4時間、3位は中国の8.0時間)
こうなると国の勢いと本を読む時間は比例しているように思います。
また、別の最近の調査があります。文化庁の調査(2018年)では、1カ月に何冊本を読むか尋ねたところ、「まったく読まない」と答えた割合が47.3%とあり、およそ半分の人はまったく本を読まないのですね。
そういえば電車内でも大半の人が見ているのはスマホ。本を読んでいる人なんて見つけるのが大変です。
これじゃ本が売れないわけです。コロナ禍がきっかけで出版社や書店の倒産が続出していますが、これは出版文化の危機であり、読書習慣の危機です。
世界から相手にしてくれなくなる
それよりも、読書人の少なさは教養人の枯渇を意味し、教養の欠如は世界から“人物”として評価されません。いくら英語が堪能であっても薄っぺらな人物に過ぎず、ダメなのです。よく経営者の人と話す機会がありますが、教養のない人は薄っぺら感ハンパなく、話す言葉も真実味に欠けます。
本をよく読む経営者に成功者が多いというのは、私の経験から事実です。なぜなら教養はもちろんのこと、本を読む人は情報強者であり、それだけ選択肢が豊富にあり、豊富な選択肢の中から決断を下すので間違う確率が低くなるからでしょう。
それは私自身の体験からも言えることです。少なくとも私は本を読むことを習慣として生きてきて、はたから見れば自殺してもおかしくないほどの絶望感に苛まれたときも、思いとどまらせてくれ救い上げてくれたのは本であるといっても過言ではありません。
読書尚友の愉しみ
そこで、私のふやけた精神を鍛え上げてくれた多くの本との出合いのなかから、今回は厳選の5冊を紹介しようと思います。推薦本の著者のおひとりである安岡正篤師のまさに「読書尚友」の愉しみがここにあります。(※本の画像をクリックすると本の詳細ページに飛びますよ)
【1】論語
まずトップバッターは『論語』です。
2500年前の中国の戦乱に明け暮れる春秋時代に出現した孔子とその弟子たちによる言行録です。組織のトップたる者、徳性による統治こそ国づくりを盤石なものにするとの信念のもと、群雄割拠の諸国を遊説して回ったのです。
その弟子は3000人とも4000人とも言われていて、将来になんの保証もない孔子を師と仰ぎ、ついていったのですね。だから孔子こそ徳性を身をもって示した実践者であり、今で言う、すぐれたリーダーシップの持ち主であったのでしょう。そんな孔子の言行録の書、それが『論語』です。
2500年もの歴史を経て今もなお読み継がれている論語。まさに論語で言う「温故知新」がここにあります。
私はこの岩波文庫本を何十回となく読み返し、読み返すごとに新しい発見があります。組織のリーダーであるあなたにぜひおススメしたい一冊です。
【2】修身教授録
次に、『修身教授録』をおススメします。偉大な教育者であり哲学者であった森信三の著作です。困難な人生にあって貫いた信念の言葉の数々。胸を打ちます、というか、からだをえぐります。
「人生二度なし。これ人生における最大最深の真理なり。」
「教育という仕事は流水の上に文字を書くようなはかない仕事である。しかし、そのはかないことを巌壁(がんぺき)に刻み込むような真剣さをもって取り組まなければならない。」
「『念々死を覚悟して、初めて真の“生”となる』という一語は、結局私の宗教観のギリギリのところでの表現です。人生を全力的に全充実において生きるためには、“死”を自覚して初めて可能なことです。」
「信とは、人生のいかなる逆境も、私のために神仏から与えられたものだと思って、回避しない生の根本態度をいう。信とは、いかに苦しい境遇でも甘んじて受け、これで自分の業は消えていくんだと、全力をもって取り組む心的態度をいう。」
【3】炎の陽明学
山田方谷を知らない人は多いでしょう。上杉鷹山の比ではないほどのスケールで藩政改革をやってのけた人が方谷です。備中松山藩に仕えて、自ら清貧に甘んじ、江戸時代には思いもよらなかった先駆的資本主義を注入して、10万両の借財をわずか8年で10万両の蓄財に変えた、理財(財政)の天才としてその名を馳せました。
その功績に圧倒されて、明治新政府の敵側であった備中松山藩の方谷に、岩倉具視、大久保利通など新政府の中枢を担った要人から、異例なことに明治新政府の出仕を何度も呼びかけられましたが、頑として応ぜず、野に下り、生涯を郷土の学問に捧げた人です。
歴史の勝者はやがて山田方谷を忘れていきました。
その生涯を記したのが同書です。会社が借金でどうにもならなくなったとしても、あわてず、騒がず、泰然自若として、過去のビジネスモデルを思い切って捨て去り、新しいビジネスの創出を好機とばかりに、幾多の新事業に果敢に取り組み成功へと導いた、その不撓不屈の精神と、アッと驚く行動力におおいに勇気づけられます。
山田方谷の精神的支柱となった「陽明学」について述べたいのですが、それはまたの機会に。とにかくおススメの本です。
【4】いかに生くべきか
次におススメなのが、私淑する安岡正篤師(あえて「師」を付けます。呼び捨てにするなどとても失礼であり、それだけに私の心の中に今も大きく生き続けています)の『いかに生くべきか―東洋倫理概論―』です。
安岡師には多くの著作があり、もちろんすべてがおススメなのですが、そのなかで1点を選ぶとなるととても難しいことです。何度も考え苦慮しましたが、最後は「エイヤーッ」と選んだのが同書です。
著者の安岡正篤師を少しご紹介しておきましょう。師は東洋思想の泰斗として歴代の総理大臣の政治的アドバイザーとして東洋宰相学、帝王学を説き、終戦の詔勅を加筆し修正した人で、生涯を通じて東洋古典の研究や人材育成に尽力しました。
同書は師の三十代に足を踏み入れたばかりの頃の著作で、人間の一生を早年、中年、晩年に分け、それぞれの眼目となるべき倫理を志尚、敬義、立命にしぼって人間の生き方を追求して述べています。安岡教学の四部作の先駆けとなった本です。
すぐれた生き方指南書であり、閉塞感に覆われて先の見通しが立たない不透明感のなかにあって、人間としてぶれることのない、生きる軸足をいかに持つかを指し示した教えの書でもあります。今の時期に絶好の書であるとも言えます。
【5】生くる
最後になりましたが、執行草舟著の『生くる』を取り上げたいと思います。
職業的習い性でいつものようにぶらりと書店を立ち寄ったときに偶然に見つけた本です。著者のことを何も知らずに、それでも本が放つ存在感に威圧されて思わず手にしてしまったのが同書です。
ページをめくってみると、やはり勘は当たっていた、いや、それ以上の衝撃は忘れられません。
なぜなら著者の一語一語には、ウソのまったくない、自身の身を削って滴り落ちる血の一滴一滴が刻印されているからです。すぐれた著作に共通していることですが、なかでも著者は一切レトリックという技巧を捨てて、そのまま切っ先鋭い日本刀の諸手突きで読むものに迫ってきます。だから、こちらは身をひるがえして避けるか、つまりバタリと本を閉じて読むのをやめるか、そのまま受け止めて読み進めるしかありません。だから確実に読者も身を切られるのです。
あなたはそんな本を読む勇気がありますか?
なかでも、現在を生きる私たちに、そんな生き方でいいのか、日本人として生まれ落ちた生の必然性をないがしろにしていないかと迫ってくるのです。
たとえば見出しだけでも抜粋してみましょう。
「読書とは、歴史と自己が織りなす、血と魂の触れ合いである」
「礼は科学である。目に見えぬものと対峙する東洋の英知なのだ」
「与えられていることに気づかず生きれば、人は貪る」
「憧れを持て。生(いのち)の痕跡をこの世に刻め」
「死もまた未来。動かせる運命を愉しめ」
「すべてを捨てなければならない。万能だった自分をひとつに限定するのだ」
「命よりも重いものがある。歴史はそれを伝えている」
もう一度聞きます、あなたは血の滴るこの文章を読む勇気がありますか?
英国の社会思想家であるジョン・ラスキンはこう言っています。
「すべての本は、束の間の本と生涯の本の2種類に分けられる」
以上挙げた厳選の5冊は、もちろん「生涯の本」です。多少難しい内容かもしれません。ですが、難しいだけに読み応えがありますし、それだけ世界が広がり思索の奥行きと深さが増します。こんなときです、ぜひチャレンジしてみてください。
良き書物を読むことは、過去の最も優れた人たちと会話をするようなものである。
(デカルト)