死ぬときに後悔すること
いきなり青臭い質問をします。
「あなたはなんのために生まれてきたのですか?」
自分探しではないですけど、いくつになってもこの質問はインパクトがあります。
たとえば『死ぬときに後悔すること25』なんていうタイトルの本があって、後悔することの大半が、もっと自分らしい別の人生を歩みたかったというものです。
多分、生きているうちは、いま歩んでいる人生でいいのだろうか、後悔しないだろうか、という疑問と不信で苛まれ続ける人がそれだけ多くいるということでしょう。
だから、インパクトがあるのです。
「あなたはなんのために生まれてきたのですか?」
質問の答えが見つかった!
私も例外なくある時期までこの質問に苦しんでいました。
ところが、生死をさまようほどの苦しい、ある出来事がきっかけになって、分厚い雲の割れ目から一筋の光が射したように、質問の答えが見つかったのです。
その答えとは・・・
「幸せになるため」
なんだ、そんなことか。単純すぎてもったいぶることでもないじゃないか。そんな声が聞こえてきそうです。
じつはこの答えには続きがあります。
「人を幸せにしてこそ、自分の幸せがある」と。
人類が誕生してから現在まで、変わらない習性があります。それは「群れる」ということです。群れて生活しなければ、生存することができなかったのが人類です。これが人間の定めであり宿命でもあります。
ですから、互いに助け合って生きること。これが人間の本能であるし、種としてのアイデンティティでもあるのです。
ということはつまり、この宇宙を、地球を、自然を、人間を創造した、創造主の意思でもあるのです。(創造主なんて信じないという人も、人間のアイデンティティや本能は信じるでしょう)
なぜ人々は群れ集うのか。会社という組織をつくり、団体をつくり、家庭をつくるのか。それらの集合体が国ですから、なぜ国をつくるのか。
生存する確率が圧倒的に高くなるからです。
半沢直樹の真実
一人では生きられない。人間とはそういう生き物なのでしょう。
そういえば冒頭で例に挙げた『死ぬときに後悔すること25』では、後悔することの第1位に挙げられているのが「愛する人に『ありがとう』と伝えなかったこと」なのですね。
テレビで話題になった『半沢直樹』ですが、主人公が銀行を辞める決意を妻に告げると、妻役の上戸彩はこう言います。
涙腺崩壊のセリフです。そんなセリフが吐ける妻は人を幸せにし、それだけ自分に幸せは返ってくるのでしょう。
こんなこと言われたら、また夫はがんばります、死ぬ気でがんばりますよね!
半沢直樹がなぜあれほど高視聴率を誇ったのか。それは、悪は滅び、正義(愛)が勝ってほしいという、視聴者の願望が投影されたドラマであったからでしょう。
ですから、人間の幸せは互いに相手をリスペクトし合い、他の人を幸せにすること。
反対に、自己中心主義で私利私欲に凝り固まった人間は猜疑心にあふれ、人を傷つけ、踏み台にしてしか生きられない。
それが家庭になり、会社になり、国になると、争いが絶えなくなり、不幸の坂を転げ落ちるというのは真実でしょう。世界の様相は、邪悪な人間がつくる国と、愛につつまれた国とのハルマゲドン(世界最終戦争)に突入した観があります。
家庭でも、会社でも、同じことです。
勝つのはどっちだ?
もちろん、人を慈しみ、受け入れ、互いにその存在を認め合う。こういう家庭や組織、国家は生きながらえます。だってそれが人間存在の、世界の、宇宙の、真実だからです。
まさに、半沢直樹です!
理美容師の限りない可能性
こんなことを思いめぐらしていると、あることに気づきます。
理容師、美容師はなんと恵まれた、そして未来への可能性のある職業なのかと。
だってそうですよね、自然の摂理で髪の毛は伸びてきます。理美容室への来店動機は自然がつくってくれるのです。しかもカット料金はリーズナブルで、1人のお客さまを1つの空間で長時間独占できるのです。
慈しみ、まるごとその存在を許容できるのです。
「ようこそ、この店にいらしていただけました。がんばって生きているんですね。ありがとう。お疲れ様」
口にはあえて出さなくても、気持ちは伝わります。お客さまの存在を丸ごと肯定し、受け止め、慰藉できるところ。それが理容室、美容室であり、その特異性をいかんなく発揮できるのが、理容師であり、美容師であるのですから。
AIの爆発的進展で、人間の脳がAIに取って代わられるかもしれないというシンギュラリティポイントはすぐそこまでやって来ています。
加速度的に進む人間疎外の現代にあって、人間性を回復させる最後の牙城が理美容室なのではないでしょうか。
このことはいくら言っても言い過ぎではありません。これこそ理美容業の究極のアイデンティティです。
「動機善なりや、私心なかりしか」
(稲盛和夫)