最大のネックである採用
美容室の事業規模拡大にとって最大のネックは人の採用でしょう。
この度、株式をマザーズに上場した某美容室。
某業界ジャーナルには、こんなことが書かれていました。
スタイリストファーストを企業理念に、平均より高い報酬を出し、柔軟な働き方ができる環境を整えているため、人の確保も順調だ、というのです。
順調な人材の確保があればこそ、毎年140~150店舗出店でき、2023年10月末には950~1000店舗を目指すと。
この人材確保ですが、じつは「業務委託」によって成り立っているのですね。
さらにこんなことが書かれてあり、「えっ?」とわが目を疑ってしまいました。
理美容師の平均年収が311万円であるのに対し、こちらの美容室では年間378万円の報酬があるという。正社員の給料よりも20%も多く支給しているのだと。
この記事、額面通りに受け取れます?
確かに年収の単純比較ですとこうなるのかもしれません。
年収額のカラクリ
ところが、正社員に対する会社負担は給料だけではありません。社会保険料や残業代、交通費含めて会社には各種の負担金が発生します。
概算をしてみましょう。
社会保険料は、厚生年金、健康保険、介護保険(40歳以上が対象)、雇用保険、労災保険(こちらは100%会社負担)があります。雇用保険と労災保険以外は会社と個人の折半で徴収されます。
それぞれの料率は以下の通りです。※( )内は個人負担分
・厚生年金18.3%(9.15%)
・健康保険9.84%(4.92%)
・雇用保険0.9%(0.3%)
・労災保険0.3%※全額会社負担
これを理美容師の平均年収といわれる311万円で個人の給料から差し引かれる社会保険料を概算してみましょう。
・厚生年金:311万円×9.15%=284,565円
・健康保険:311万円×4.92%=153,012円
・雇用保険:311万円×0.3%=9,330円
・介護保険:311万円×0.9%=27,990円
・労災保険:311万円×0.3%=9,330円※全額会社負担でも一応わかりやすくするために計算に入れ込む
となり、合計して48万4227円が差し引かれます。15.6%の負担率です。
そして、単純に倍額として48万4227万円×2の96万8454円が会社の金庫からなくなってしまうのです。
さらに、2割5分増しの残業代、交通費、研修費、福利厚生費など含めれば、軽く100万円以上の負担が会社に発生するのです。
このままじゃ悲惨な老後
ですから、「年間378万円の報酬があるという。正社員の給料よりも20%も多く支給しているのだと」という記事は、まったく実態を知らない、表面的な記事だと言えるのですね。実態は378万円の報酬額など支払ってもお釣りがくるというわけです。つまり、仕入れでは業務委託で消費税が発生して差し引き納税額で恩恵を受け、販管費の負担が少なく、それだけ利益率が高くなるわけです。
しかも、業務委託で働くスタッフは、たとえ厚生年金などの負担分が発生しなくても、そのぶん年金の積み立てがまったくありませんから、老後は国民年金だけが頼り。その国民年金は、20~60歳まで40年間保険料を支払い続けたとしても、受給金額は年間78万円、月で6万5000円程度ですから、生活が困窮することは間違いありません。個人事業主で悲惨な老後を送っている人が多い、社会保険料の負担がなくて手取り給料が増えるからって、美容師さんは大丈夫か、とは私の友人の社労士の述懐です。
もちろん、厚生年金の将来は楽観できるものではないと承知はしています。たとえそうであったとしても、大切なスタッフの老後を見据えた生活のフォローアップ体制を会社で用意するべきだと思うのですね。
そんなことまったく意識になく、言葉は悪いですがスタッフは使い捨て。なにが、「スタイリストファースト」なのでしょうか。むしろその実体は、安い報酬でこき使っているとしか思えません。人の確保も順調だと言いますが、働くスタッフはこの現実をしっかり把握しているのでしょうか。
少なくとも業界を情報でリードしていくべき業界ジャーナルは、取材対象(多くは経営者)の言葉の受け売りではなく、しっかりと背景まで把握した記事を書くべきです、けっして業界をミスリードしてはいけません。
せっかくの業界での上場企業の誕生です。本来なら諸手を挙げて喜ぶべきですが、雇用体制の未整備とスタッフの知識のなさにビジネスチャンスを見い出すというやり方には、少なくても私は賛同しません。
「みずからの足で歩き、みずからの目で確認しなさい。そうでなければ、あなたの話には重みも説得力もない。情報には鮮度がある。すべての人が良いという意見は信用できない。情報は自分の目と耳で集めろ。机の上でいくら思案しても、優れた発想は生まれない。」(安藤百福)